ユングの最も重要な発見の一つは、人間の典型的な情報の処理方法を理解することで、ある特定の様式(スタイル)で行動したり感じたりする理由の洞察を得ることができるということだった。1921年、ユングはそれらの考察を『心理学的類型』(『タイプ論』『元型論』とも)で公開した。
ユングのタイプ論(類型論)は、心の領域に重きを置きつつも身体的なものを考慮して成り立っている。ユング自身が述べたように、心的なものとか身体的なものとかいうのは、人為的な区別であって、元来は切り離せないものであり、一つの関係が存在するのである。その点から出発してコングは外と内の緊張関係に目をつけ、さらには既知のものと未知のものの緊張関係を探究した。 ユングは心理学を信頼して、身体的なものから心的なものを求める方法ではなく、内から外という逆の方法を試みた。
性格学的認識の絶対性要求への配慮から、ユングは「心的なものはもっとも自分に直接で、それだからこそもっとも既知である」と述べ「心的なものはわれわれにとってもっとも根本的、永続的であり、疑問の余地がまったく存在しないほどの既知領域である」という過程を立てた。「自分自身が自分からもっとも違い存在である」というニーチェの意味に対し、ユングはこの自己を知ること、他を知ることの問題に関して「もっとも直接的なものはもっとも未知のものであり、心理学は心があまりにも直接的であるために他の学問に較べて遅く発見された」とも述べている。 心的なものはもっとも自分に直接的であり、もっとも容易に理解できるはずであるが、自分自身の認識は他者の認識に比べて真実の知識を提供しないという意味である。
外と内の対立はユングの研究の出発点であり、同時にまた目標でもある。 出発点というのは、ユングが人間における二分性、身体と心をと認識し、この与えられたものから方法論的に研究を進めてきたからである。これが研究の目標であるというのは、個々の人の外に対する関係、内に対する関係に、その人の本質的なものが発現されるという証明を得たいと試みたためである。
これをユングはコンプレックスといった。コンプレックスは心因性のもので、固有の法則に従っている。これは心的な大きさをもったもので、意識の統制を回避している。 意識の統制が心の深層に入り込み、そこでコンプレックスとぶつかる。 コンプレックスをもっている人は、それと調和できず、何らかの形で葛藤状態にある。コンプレックスは心的生活の燃えるようなつなぎ目である。 コンプレックスは自己の状態と自己に課せられた適応への要請との衝突に起因するともいえよう。根本的にいってユングは心因性の葛藤状態から出発し、これに関連して、このとき人はいかに反応するかを問題とし、これらの反応には意識せずとも身体的な機構が介入しているという絶対的な前提を認めた。ユングは能動的と受動的な行動特質、非熟考的と熟考的な行動特質をあげ、一方においては、自分の行動にまったくの信頼をおいて、同様の情況に対して直接的に反応するような人間群と、他方ではまず小声でいいえといってから反応を開始するような、所与の情況に反応する瞬間に身をひいてしまうような人間群とがあるとし、前者を「外向性」、後者を「内向性」の態度と名づけた。
ユングは心理的プロセスの2つの核(”外向性”と”内向性”)を特定したのである。”外向性”は、自己の外側に意味を見出し、物、人、活動など外の世界を好み、それが外科医との作用の関係で起こることを意味する。外向型の人(外向的な人)は親切な態度を示し、開放的、積極的で情況によく適応する。 人と接することを厭わず、悩むことが少ない。あまり熟考しないが、新しい情況にも信頼して物怖じしない。外向型のものは外的条件によって左右されやすく、内向型のものは個人的条件によって支配されやすい。
”内向性”は、内省的(自分自身の心の内側・考え・行動を深く省みる性質がある)で、自分の内に意味を見出し、思考、感情、空想、夢などの内的世界を好み、すべての心的なるものが法則通りに自分の内部に適合するように生ずることを意味する。 内向型の人(内向的な人)というのはためらいがちで、内省的・ 引き込もりがちであり、客体(外部、外界)を恐れる。 そしてすぐに防衛的になり、不信の目をもって物事を観察する。
心的現象の中に、様式・方法・秩序をもたらそうとしたユングは1929年に行なった講演の中でつぎのように告白している。「私はきわめて単純な手段で多くのことを説明しようと努めてきた。現在、内向性自体の内部間、外向性自体の内部間に非常に大きな差異があるという事実に驚いています。 この差異があまりにも大きいので、私はそもそも事柄を正しく見てきたのかどうか疑問になってきました」。
ユングは、世界を認識するにあたって認知に差異が他にも存在すると考え、この基本的な考えを維持しつつ、世界を経験する際の主要な4つのモードとして「思考」「感情」「感覚」「直感」も特定した。これら「4つの機能」がユングのタイプ論(類型論)の基礎となっている。
ユングの理論で重要なのは、「タイプ志向(type preferences)」は先天的なものであり、両親、家族、文化などの外部からの影響で社会的に構築されるものではないということである。とはいえ、(タイプ志向の)好みの発達の質や強さは個人が影響を受け、生まれと育ちの両方が作用している。協力的な環境であれば生まれながらの好みの発達が促進されるが、逆の環境であれば、自然な発達が妨げられたり遅れたりするのである。
タイプ論の基礎
以下は、ユングのタイプ論の基礎にある考えである。
二律背反
陸と海、昼と夜、闇と光、東洋と西洋とあるように、一方が存在しないと、もう一方も存在しないが、それぞれは対極の存在であるもの。ユングは心も二律背反の構造で成立していると考えていた。
心のエネルギーの方向
人はさまざまな方法で外界に対して自分を方向づけているが、ユングは以下の通り、二分した。
- 外向=自分の皮膚より外の世界(外界)に向かう。人とのコミュニケーション等々。
- 内向=自分の皮膚より中の世界(内界)に向かう。自分の記憶、思いに焦点がいく。
外向
外向的な人は社交的な人とも表現でき、心のエネルギーが外に向きやすいためので、世の中の情勢や流行(客体)に左右されやすいタイプとも言える。一方、内向的な人は、心のエネルギーが内側に向いており、気分に左右されやすい面もあるが、どちらかというと控えめで我慢強い傾向にある。
もし客体(外部、外界)との関係や客体の要求に直接適応するように思考したり感じたり、行動するならば、その人は外向型の人 (外向的な人、外向性の人)であり、意識の中で客体が主体的見解よりも大きな役割を果たす。もちろん、その人は主体的意見をもってはいるが、その力は外的条件よりも弱いのである。外部から規制されるので、その人のすべての意識は外部に向けられている。 他の人間、物への興味、注意力も客観的なできごとに基づいてなされ、行動もあきらかに客体との関係においてなされる。外向型の人は客観的に与えられた可能性以上の要求をもたず、与えられた関係に比較的摩擦をつくることなく適応できる。 外向型の人間は、たとえばその時その場でもっとも有望な可能性をもつ職業につくことができるであろうし、その人の周囲が期待し、必要とするものをうまく遂行することができるであろう。外向型の人は一般に主体の必要性と客体の所与性とを考慮することができる。この型にとって危険なことというのは、一般に客体の中に引きずりこまれ、自分自身をその中で見失うことである。 目立たない地位から社会的にも影響力が強く有望な位置に急速にいたった人物は、 このような危険性の兆候を示すことが多い。自己の力の過大評価、思考の飛躍、途方もない願望、根拠のない楽観主義、自我肥大などが外向型のものにみられることがある。 外向型の人は、絶えずその客体のために主体を譲り、 両者の同化を試みる。そのために主体的活動、意見、希望、必要性などはこのような仕方で圧迫を加えられてしまう。
内向
逆に内向型の人(内向的な人、内向性の人)は行動と知覚の間にいつも主体的な見解をさしこみ、行動が客体(外部からの影響)に左右されることを防ぐ。 内向型の意識はやはり外部の諸条件に向けられているが、主観的要因が決定的なものとしてはたらく。主体以外の世界、主体におかされていない世界をみる可能性の基準を何一つ私たちは持たない。 「我思う故に我あり」というのは内向的思考型を意味するもっとも簡潔な表現である。内向的な自我は精神の自由を尊び、屈辱的な物的・金銭的な依存を許さない。世間的意見に対 して自分を譲らず、自分の回りを安全の垣根で囲んでしまう。つまり客体に対してある程度 の恐怖をもち、その影響を受けることを頑として拒むのである。 内向型の人の思考はまず第に主体因子に向けられるので、いつも彼の判断を決定する一定の感情方向が存在している。
内向型の人にとって危険なことはいうまでもなく創造性への衝動があるということにある。この主体的な確信はしばしば自己批判を凌ぎ、真理を確信するために事実をおろそかにしがちである。 この主体的思考は観念的・心像的にきまった傾向をもって理論のために理論をつくり上げる。 カントは内向的思考型の卓越した代表的人物ということができよう。
内向型のものの判断は冷静で、変わりにくく、恣意的で周囲の事情を顧慮しない。 実際的才能や関心は内向的な特徴を持つ人本来のものではない。もしその考えだけに従って物事をすることが許されると冷酷そのものにもなりかねない。 内向的な人の表面的態度は人目をひくことを避けるものであり、ぎこちなく、痛々しく、気が小さく見える。それにもかかわらず、ときに権威的に振舞い、傍若無人のようになることすらある。
基本心的機能(The Basic Mental Process)
知覚機能(情報を集める)⇔ 判断機能(結論を導く)
両方同時には働かず、知覚機能がONのとき判断機能はOFF、判断機能がONのとき知覚機能はOFF、となる。
- 知覚機能は、感覚機能(Sensing)と直観機能(INtuition)に分かれる。
- 判断機能は、思考機能(Thinking)と感情機能(Feeling)に分かれる。
各心的機能の定義
<知覚機能>
- 感覚機能(Sensing Function)
- 五感を通じて観察されたり、得られた具体的な情報や事実に焦点を置く。
- 直観機能(iNtuition Function)
- 関連性や可能性、イメージなどによって得られた情報やそのパターンに焦点を置く→行間を読む。ロジカルシンキング。
<判断機能>
- 思考機能(Thinking Function)
- 対象から距離を置いて因果関係を分析したり、論理性に基づき結論を導く。
- 感情機能(Feeling Function)
- 対象の中に自分を位置づけて、自分の気持ちや価値観と照らし合わせて結論を導く。
ユングの8つのタイプ
ユングは、上記4つ基本心的機能に心のエネルギーの方向(外向もしくは内向)の属性を付け足し、人のタイプを合計8タイプに分類した。定式化すると、以下のようになる。
[ 外向(E)、内向(I) ] × [ 感覚(S)、直観(N)、思考(T)、感情(F) ]
= 外向感覚タイプ(Se)
外向直観タイプ(Ne)
外向思考タイプ(Te)
外向感情タイプ(Fe)
内向感覚タイプ(Si)
内向直観タイプ(Ni)
内向思考タイプ(Ti)
内向感情タイプ(Fi)
内向感情型(内向感情タイプ)の人間は、ユングによれば客体とは二次的にのみ関連をもっている。内向型感情タイプの人は意識せずに 客体を自分のつくり出す像の中に順序よく整頓しようとする。 感傷的な自己愛も、鏡に映った自分 を眺めようとするのもこの型に特有のものである。自己中心的な感情はややもすると内容の乏しい情熱におち入るようになる。このタイプの代表的なものは外部に対しては調和感のある地味な態度や好感を与える穏やかさを示す。この外に対する控え目な態度にもかかわらず、この型(タイプ)の内部には非常に強い感情があり、それが心の奥深く発展することがある。
ユングのタイプ論(類型論)からMBTIへ
ユングのタイプ論から派生した理論にはMBTI(マイヤーズ=ブリッグス・タイプ指標、英Myers–Briggs Type Indicator)がある。
外界への接し方(日常の過ごし方)の極
マイヤーズ(Myersら)はユングのタイプ論にもう1つの指標を加えた。「外界への接し方(日常の過ごし方)の極」である。
- 知覚的態度(知覚機能を使って外界へ接する)
- まずは臨機応変に対応する。
- 情報を集めて対応する。
- 判断的態度(判断機能を使って外界へ接する)
- まず外界を体系だててから対応する。
MBTIの4つの指標
- エネルギーの方向
- 外向(E) or 内向(I)
- ものの見方
- 感覚(S) or 直観(N)
- 判断の仕方
- 思考(T) or 感情(F)
- 外界への接し方
- 判断的態度(J) or 知覚的態度(P)
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