アルフレッド・アドラー(Alfred Adler、ドイツ語発音: [alfreːt aːdlɐ] アルフレート・アドラー、1870年2月7日 – 1937年5月28日)は、オーストリアの医学者、心理療法家、アドラー心理学(個人心理学)の学派の創始者。 アドラーは、人間が家族、社会、国家、世界の中でどのように存在し、相互作用しているかという全体の文脈の中で人間の発達を考察した。特に、劣等感*の重要性を強調し、人格形成に重要な役割を果たす要素として認識されている。アルフレッド・アドラーは、人間を「分割できない存在(分割できない統一体)」として捉えていたため、自分の心理学を正式に「個人心理学」と呼んだ(Orgler 1976)。個人心理学はアドラー心理学としても知られており、この「分割できない存在」である人間は、決定と選択の能力を持ち、自ら選んだ目的や目標に向かって生きるとアドラーは考えていた。
アドラーは、個人の再適応プロセス(再適応過程)における社会的要素の重要性を強調した最初の人物であり、精神医学を地域社会に持ち込んだ人物でもある。2002年に発表されたReview of General Psychology(一般心理学概説)の調査では、アドラーは20世紀で最も著名な心理学者の67番目にランクされている。
*劣等性:
人は誰しも、他の人と比較すると劣っている点があるが、アドラーはこれを「劣等性」と名付けた。アドラーはこの劣等性に対して負い目を感じたとき生じるネガティブな感情を劣等感と呼んだが、アドラー心理学では一般的に流布している考え方と異なり、この劣等感を克服する(これを心理学では補償すると表現する)ために人が前向きな目標を持つ大きな原動力となると考え、その目標を達成することで劣等感を克服(補償)できると考えたのである。アドラーはこの劣等感に対して反発し前進しようとすることを「優越性の追及」と呼んだ。また、劣等感を(行動で)解消することをあきらめ歪んだ心になることを劣等コンプレックスと呼んだ。
*劣等感:
劣等性を克服しようと前向きに頑張るエネルギー源
*劣等コンプレックス:
劣等感を行動で解消することをあきらめゆがんだ心となること
日本で、アドラー心理学が広まったきっかけとして、2013年に岸見一郎と古賀史健の共著によって出版された書籍『嫌われる勇気』が挙げられる。岸見一郎が翻訳をした全11作品「アドラー・セレクション」ではアドラーの思想を詳しく知ることができる。アドラー自身は19作もの著作を出しており、アドラー心理学が個人心理学として著名になることに一役買っている。
生涯
西暦 | 歳 | 出来事 |
1868 | – | ジークムント・アドラー(Hermine Adler、兄)誕生 |
1870 | 0 | 2月7日、ウィーン郊外のルドルフスハイムでアルフレッド・アドラー誕生(オーストリア人ではなくハンガリー人として登録される) |
1871 | 1 | ヘルミーネ・アドラー(Hermine Adler、妹)誕生 |
1873 | 3 | ルドルフ・アドラー(Rudolf Adler、弟)誕生 |
1874 | 4 | イルマ・アドラー(Irma Adler、妹)誕生 ルドルフ・アドラーが生後年でジフテリアにより死去 |
1875 | 5 | 肺炎にかかり生死をさまよう |
1877 | 7 | マックス・アドラー(Max Adler、弟)誕生 |
1884 | 14 | リチャード・アドラー(Richard Adler、弟)誕生 |
1888 | 18 | ウィーン大学医学部入学 *当時のウィーン大学は精神医学は必須科目ではなく、正式には精神医学の訓練を受けなかった |
1895 | 25 | ウィーン大学より医学士*を授与される(卒業) *アドラー博士と記述されることもあるが、アドラーは医学博士ではない 卒業後、総合病院でアウグスト・フォン・ロイスものもとで眼科で働き始める |
1897 | 27 | ロシア・スモレンスクで3歳年下であるロシア系ユダヤ人のライザ・ティモフェヤーニャ・エプシュタイン(Raissa Timofeyewna Epstein)と恋に落ち、結婚 |
1898 | 28 | ウィーンのツェーリンガッセ 7 丁目のレオポルトシュタット地区に内科医として開業 ヴァレンタイン・アドラー(娘)誕生 オーストリアの “Medical News Bulletin “に2つの記事を発表 最初の著作となる『仕立て業のための健康手帳』(Health Book for the Tailor Trade)を出版 |
1901 | 31 | アドラーの第二子、アレクサンドラ誕生 |
1902 | 32 | “Medical News Bulletin “にさらに2つの記事を発表 ジークムント・フロイトがアドラーを設立間もない「水曜精神分析協会」に手紙にて招待する(後にウィーン精神分析協会に改称) |
1904 | 34 | 今日までで最も重要な論文『教育者としての医師』を発表 10月17日にドロテーアガッセのプロテスタント教会で洗礼を受け、ユダヤ教からプロテスタントに改宗 クルト・アドラー(息子)誕生 |
1907 | 37 | 『器官劣等性の研究』を出版 |
1909 | 39 | コーネリア(娘)誕生 |
1910 | 40 | ウィーン精神分析学協会の議長に就任 |
1911 | 41 | フロイトの働きかけでアドラーがウィーン精神分析協会から追放される シュテーケルなどと「自由精神分析学協会」を結成 オーストリアの市民権を得る |
1912 | 42 | 『神経質性格について』を出版 |
1913 | 43 | 「自由精神分析協会」を「個人心理学協会」と改名する |
1914 | 44 | 『癒しと教育』(アドラー編)出版 |
1916 | 46 | アドラー、第一次世界大戦中にオーストリア・ハンガリー帝国の軍医として徴兵される。 第一次世界大戦 |
1918 | 48 | アドラー除隊、社会性を重視した著述を始める。 |
1922 | 52 | 『個人心理学の実践と理論』を出版。 。アドラー、ウィーンの公立学校で、児童指導の教育コンサルタントチームを立ち上げる。 ウィーンの公立学校 |
1924 | 54 | アドラー、ウィーンの教育学研究所の教授となる。 |
1927 | 57 | 『人間の本性を理解する』出版 。アドラー初のアメリカ講演ツアー開催 |
1928 | 58 | 『R嬢の場合:ある人生物語の解釈』出版 |
1929 | 59 | アドラーがコロンビア大学の非常勤教授となり、活動の拠点をウィーンからニューヨークへ移し始める。 ウィーンからニューヨークへ活動拠点を移す 。学校における個人心理学』の出版 。神経症の問題」の出版。ケースヒストリーの本』刊行 。生きることの科学』刊行 。子どもの指導法』の出版。個人心理学の原理について。 アドラー編 |
1930 | 60 | アドラー、コロンビア大学を辞職 。子どもの教育』刊行 。人生のパターン』刊行 。問題児』の出版。問題児:困難な子どもの生活様式 具体的な事例で分析したもの |
1931 | 61 | 『あなたにとって人生の意味するもの』出版 |
1932 | 62 | アドラー、ロングアイランド医科大学教授に就任。 アメリカでの初の常勤教授となる |
1933 | 63 | 『宗教と個人心理学』の出版。 社会的関心』の出版。人類への挑戦 |
1934 | 64 | オーストリアがファシストに占領され、アドラーの心理教育運動が弾圧される。 が弾圧される。 |
1935 | 65 | ヒトラーのナチス・ドイツにオーストリアが併合される。 。ライサがニューヨークに移住し、アドラーとの生活を再開する。 。アドラーが若き日のアブラハム・マズローの師匠となる |
1937 | 67 | アルフレッド・アドラーが5月28日にスコットランド、アバディーンにて死去。 |
基本理念
アドラーは、哲学者ハンス・ヴァイヒンガーの精神構造の考え方(『「あたかも」の哲学』)やドストエフスキーの文学に影響を受けていた。アドラーはウィーン精神分析協会のメンバーであったが、器質的劣等感と補償に関する理論を展開し、これが後に現象学に転じ、有名な概念である劣等感を発展させる原型となった。
また、アドラーは、イマニュエル・カント、フリードリヒ・ニーチェ、ルドルフ・ヴィルヒョー、政治家ヤン・スマッツ(「ホリズム(全体論)、holism」という造語を作った)の哲学にも影響を受けた。アドラーは、人間の心理を総合的に捉えた先駆者であり、自分のアプローチを「個人心理学(”Individual Psychology”)」と呼んだが、「個人(Individual)」とはラテン語で「不可分(分割されていない、分けられていない)」という意味である。これはホリズム(全体論、holism)を強調するための用語であり、社会心理学やコミュニティ心理学、深層心理学にも該当する。アドラーは、心理学において早くから予防を提唱し、親、教師、ソーシャルワーカーなどに対し、子どもが他者と協力しつつ合理的な意思決定によって力を発揮できるようにするための民主的アプローチの訓練を強調していた。彼は社会的理想主義者であり、精神分析との関わりの初期(1902-1911年)には社会主義者として知られていた。
個人心理学という科学は、生の神秘的な創造力を理解しようとする努力から発達した。その力は、目標を追求し、それを達成しようとする欲求に、 さらには一つの方向において失敗しても、別の方向で成功することを求めることで補償しようとする欲求に表現されている。この力は、「目的論」 的なものである。即ち、それは目標追求の努力のうちに表現され、身体と精神のすべての運動は、このような追求に向かって協力することになる。したがって、身体の運動と精神の状態を全体としての個人に関連させることなく抽象的に考察することは愚かなことである。 ー『個人心理学講義』 P9~10
アドラーは、人間の発達を社会全体の中で捉えた。心の健康を、人と人とのつながりを感じ、自分を十分に成長させ、他者の福祉に貢献しようとする意欲であると定義した。これらの資質が十分に発達していない場合、個人は劣等感を感じたり、優越感に浸って他人と対立したりする。優越感は自己中心的な行動につながり、感情的または物質的に他人を利用するようになるかもしれない。つながりの気持ちや貢献したいという気持ちが強くなると、平等感が生まれ、公共心や自己超越性が高まり、他人のためになる行動をとるようになる、と考えたのである。
人生は仲間に関心を持ち、全体の一部であり、人類の幸福に貢献することである。 ー 人生の意味の心理学(上) ー
このような充実したライフスタイルを送っているときに得られる充実した感覚をアドラーは「共同体感覚」と呼び、共同体感覚は「意識的に発達させなければならない先天的な可能性」であると述べた。
アドラーは実用主義者であり、一般の人々でも心理学の洞察を実用的に利用できると信じていた。また、アドラーは、心理学や社会におけるフェミニズムを早くから支持しており、優越感や劣等感はしばしばジェンダー化(性別化)され、特徴的な男性的・女性的なスタイルで症状として表現されると信じていた。これらのスタイルは、心理的な補償(アドラーの用語で、精神的・身体的な欠点や弱点を意識するとき、それを補おうとする心の動きをいう。一般の用語では「克服」に当たる。 代償substitutionは、ある欲求が阻止されたとき、その対象に類似した別の対象によって満足する場合をいう。 代償と補償が互換的に用いられることもある。)の基礎となってしまい、精神衛生上の問題を引き起こす可能性がある。また、アドラーは、アンナ・フロイトが著書『自我と防衛機構』で同じ現象について書くずっと前から「自己防衛傾向」や神経症的行動について語っていた。
また、アドラーに基づく学術的、臨床的、社会的実践は、以下のテーマに焦点を当てている。
- 社会的関心と共同体感覚
- ホリズム(全体論)と創造的自己
- 仮想的最終論、目的論、目標構成論
- 心理的・社会的な励まし
- 劣等感、優越感、補償
- ライフスタイル(生活様式)
- 初期回想法(投影法の一つ)
- 家族構成(家族の星座)と出生順位
- ライフタスク(人生の課題)と社会への組み込み
- 意識と無意識の領域
- 私的論理と常識(カントの「共同体感覚、sensus communis」に一部基づいている)
- 症状と神経症
- 自己防衛行動
- 罪悪感・罪の意識
- ソクラテス式問診
- 夢診断(夢の解釈)
- 児童・思春期の心理学
- 子育てと家族(親)に対する民主的アプローチ
- アドラー式学級運営
- リーダーシップと組織心理学
アドラーとフロイト
アドラーとフロイトはウィーン精神分析協会で数年間共に働いたが、アドラーの考えはフロイトの考えとは非常に異なっており、矛盾していることすらあった。アドラーは、神経症の根源として性本能が大きく関係しているとしたフロイトと、自我の欲求が性的なものであるかどうかで論争したほか、抑圧に関するフロイトの考え方も攻撃した。アドラーは、幼少期の無力感が劣等感につながると考えていた。神経症の症状の多くは、過補償(劣等感を過剰に補うこと)に起因すると述べている。フロイトは神経症を避けられないものとしたのに対し、アドラーは修正可能なものとして捉えていた。アドラーは、人間の行動や経験の背後にある唯一の「原動力(衝動、欲求)」は性ではなく、アドラーが優越と呼ぶもの(後に完璧さを求める努力と定義し直した)へ向かう努力であると主張した。これは、自分の潜在能力を発揮し、理想に近づいていこうとする努力であるアブラハム・マズローの自己実現理論にも通じるものがある。
また、フロイトの自我(エゴ)・超自我(スーパーエゴ)・エス(イド)説は、人間を理論的な概念に”分割する傾向”があった。一方、アドラーの人間に対する考え方は、南アフリカの哲学者・政治家であるヤン・スマッツの著作に影響を受けており、人間を物理的・社会的環境の中で「(分割できない)統一された全体」として理解することが重要であると考えていた。
最終的に、アドラーとその信奉者たちはフロイトのグループとの関係を断ち、ウィーン協会を離れ、個人心理学の概念を発展させ始めた。その最初の概要は『神経症的体質(神経症的な性格について)』(Über den nervösen charakter, 1912)に書かれている。
記憶の重要性
アドラーは、患者や学童に接する際、初期の記憶の解釈を非常に重視し、「あらゆる心理的表現の中で、最も明らかなものは個人の記憶である」と記している。アドラーは、記憶を「私的論理(プライベート・ロジック)」の表現であり、個人の人生哲学や「ライフスタイル」のメタファーであると考えていた。彼は、記憶は決して偶発的なものでも些細なものでもなく、むしろそれらは選択された想起であるとしており以下のように述べている「人の記憶は、自分の限界や出来事の意味を思い出させてくれるものであり、記憶に偶然はない(記憶されていることは必然的に記憶されている)。個人が受ける数え切れないほどの印象の中から、たとえおぼろげながらでも、自分の問題に関係があると考えるものだけを選び取り記憶するのである」。
アドラー心理学では、「私的論理(プライベート・ロジック)」と「コモンセンス」という用語がある。
アドラー心理学では、個人は「私的論理(プライベート・ロジック、その個人独自のものの見方・考え方のこと)」によりその行動を決めていると考えている。
一方、「コモンセンス」とは、その人が属している共同体において、多くの人が共有できているものの見方・考え方のことであり、「コモンセンス」を持っていることが、健全な人生を送るうえで必要なものだと考えている。
子育てと子ども
アドラーは、大人になってから問題を起こす可能性のある育児スタイルによって子どもは謝った目標やライフスタイルを持ってしまうが、それにはいくつかのタイプがあるとし、いずれのタイプも勇気をくじかれていると主張した。
- 甘やかされたこども:親は、子どもを過保護にしたり、甘やかしたりする。
親が子どもの危険を事前に察知し、困難を取り除く傾向が強く、その結果、子どもの自立を妨げてしまう。子供は自分の能力を疑うようになり、現実に対処する能力を欠いてしまい、人に与えるのではなく、人から得ることを求める。自立心が少なく、協力的でない。困難に遭遇したら、他の人に助けを要求したり依存したりする。 自己愛が強く、利己的で嫉妬深い。親ではない誰かから厳しく接するようなことがあれば、他者を仲間ではなく「敵」と見なすようになる。あたかも敵国に住んでいるかのように、周囲は敵ばかりのような生き方をする。注目されることを望み、人生の有用でない面で注目を得ようとする。アドラーは、子どもは生まれた時から、年齢が許す限り自立するように訓練されるべきであると述べており、このタイプを不適切なライフスタイルの持ち主として最も警戒している。 - ネグレクト(育児放棄)された子ども:親は子どもの存在を無視する。子供は世界から保護されていないので、一人で人生の苦難に立ち向かうことを余儀なくされる。世の中を恐れ、他人への不信感が強く、親密な関係を築くのに苦労するようになる。
- 憎まれた子ども:親から憎まれて育っており、親から憎まれた子どもは、親もまた敵になる。周囲から憎まれながら育つと、周囲は敵ばかりと感じ、心を通わせようとしない。 親を始め他者を敵と見なすようになった子どもは、他者に関心を持たず、他者に協力、貢献しようとは思わなくなる。このようなケースでは、「自分が憎まれている」という考えが謝りであることを、子どもに理解させることが不可欠になる。
- 劣等器官を持った子ども:親の子育てとは直接関係がないが勇気をくじかれている(*劣等器官とは、他者と比べたとき身体の中で劣った部分のことである)。視覚や聴覚、運動能力など身体に関係することに問題がある。 器官的劣等性から生じる劣等感が過剰になると劣等コンプレックスや優越コンプレックスに陥りやすくなる。器官的劣等性から生じる劣等感をポジティブな方法で補償(克服)することができると偉業を成せることもある。
アドラーは子育てについて忘れてはならない3つの最も大事なことを聞かれ、以下のように答えている。1;こどもを勇気づけること、2;子どもが人生の有益な側面で生きるよう支援すること、3;最も重要なことで1と2を忘れないこと。また、アドラーは、誰も自分のことに格別の関心を持っていないと思い育った子どもでも、誰かが絶えず自分のために尽力してくれている体験をすれば、他者が仲間であると実感できると主張した。例えば、病気になった時、誰かが献身的に看病してくれたというような経験が挙げられる。
特に、1)甘やかされた子ども、3)憎まれた子どもは、私的論理に準じた生き方をしており、共同体と適切な関係を持てない生き方をしてしまう傾向にある。 この生き方をコモンセンスに基づく生き方に変える必要がある。
アドラーは、子どもたちの共同体感覚を正しく発達させるため、親が子どもに対して果たすべき役割を以下のように述べている。
「親の課題は、自分で自分のことができるようになるように、子どもにできるだけすぐれた人生の準備をすることである」(『子どもの教育』)
母親であることの技術は、子どもに自分自身の努力で自由と成功の機会を与え、そうすることで、 子どもがライフスタイルを確立し、ますます有用な方法で優越性を求めることができるようにすることにある。それから、母親は、子どもが次第に他の人と、人生のより広い環境に関心を持つように仕向けなければならない。 『人はなぜ神経症になるのか」 P40
テーブルでは陽気で楽しい雰囲気を作らなければならない。つまり、互いに意見を交換し、オー プンに互いに話をし、決して批判したり、学校での行動を取り上げて非難してはいけない。それは他の時にとっておかなければならない。 家族が七時に一緒に食事を摂ることの長所をどれほど高く評価してもしすぎることはない。ー『個人心理学の技術 Ⅱ」 P113
家庭における子どもの教育が不適切である場合、 子どもの誤ったライフスタイルが正されるかどうかは、教師次第であり、子どもの心を形作るのが教師の仕事であり、人類の未来は教師の手に握られているとまで述べた。
「教師は子どもたちの心を形作り、人類の未来は教師の手に握られている」(『子どもの教育』)
教師は、母親と同様、人類の未来の守護者であり、教師がなしうる仕事は計り知れないー『人生の意味の心理学(下)』 P337
「ほとんど聖なる義務といってもよい教師のもっとも神聖な仕事は、どの子どもも学校で勇気をくじかれることがないように、そして、既に勇気をくじかれて学校に入る子どもが、学校と教師を通じて、再び自信を取り戻すよう配慮することである」(『子どもの教育』)
家庭と学校の両方の目的は、子どもが社会的な人間、人類の対等の一員になることを教えることである。これらの条件においてのみ、子どもは勇気を保持し、他者の幸福を増進する解決を見出して人生の課題に自信を持って対処するだろう。 「『人生の意味の心理学 (下)』」 P138
アドラーとこどもの教育
・アドラーの子育てに関する名言
このような甘やかされた子どもたちが、大人になると、おそらく、われわれの共同体において、もっとも危険な種類の人になるだろう。ー「人生の意味の心理学(上)」 P24
甘やかされると、自分のことにしか関心を持たなくなる。憎まれた子どもは、仲間がいるということを知らない。仲間(の存在)を体験したことがなかったからです。 自己中心的な関心だけが育ち、増していきます。ー「教育困難な子どもたち」 P16
甘やかされた子どもは、自分の願いが法律になることを期待するように育てられる。彼(女)は注目されるが、それに値するだけの働きをするわけではない。そして通常、このようにされることを生まれついての権利として要求するようになるだろう ー「人生の意味の心理学(上)] P23
子どもの全般的な関心は、優越性の目標を実現できるかできないかという感覚によって増えたり減ったりする。 成長の過程において子どもはその目標を様々な仕方で達成しようとして失敗するだろうが、子どもはそうした失敗を失意を抱くことなく乗り越えていけるようにならなければな らない。われわれの役目は、子どもを意識的なレベルで援助することではなく、魂のレベルで支えることである。ー「人はなぜ神経症になるのか』P158
「能力は遺伝すると信じることは、子どもの教育に関してかつてなされたおそらく最大の誤りである」
「困難に直面することを教えられなかった子どもたちは、あらゆる困難を避けようとするだろう」(『子どもの教育』)
私は子どもの注目が学校時代のかなり早い時期に「私は将来何をしたいのか。なぜそうしたいのか」 という問いに向けられるべきであると思う。 ー「人はなぜ神経症になるのか」 P158
医師だけでなく、すべての働く人において職業の選択は、精神の原型の主たる関心に微候が示されている。この関心の発達が具体的に仕事として実現するのは、しばしば長い自己訓練の過程である。ー「人はなぜ神経症になるのか」 P157
「教師は子どもたちの心を形作り、人類の未来は教師の手に握られている」(『子どもの教育』)
「ほとんど聖なる義務といってもよい教師のもっとも神聖な仕事は、どの子どもも学校で勇気をくじかれることがないように、そして、既に勇気をくじかれて学校に入る子どもが、学校と教師を通じて、再び自信を取り戻すよう配慮することである」(『子どもの教育』)
「賢い子どもが、課外学習、例えば、絵画や音楽等々に時間を費やせば役に立つだろう。賢い子どもがこのようにして学ぶことは、クラス全体に益がある。他の子どもたちを刺激するからである。クラスからよくできる生徒をいなくするのはいい考えではない」(『子どもの教育』)
人間は、生物学的に見ても、明らかに社会的な存在であり、成熟に達する前に他の人に依存しなければならない時期は、どんな動物よりもずっと長い。人間がまさに生存するために必要とする 高度な協力と社会文化は、自発的な社会的努力を要求し、教育の主たる目的は、それを喚起することにある。ー「人はなぜ神経症になるのか」 P39
共同体感覚は、人間の発達と密接に結びついています。 共同体感覚を持っている子どもは、よく聞き、よく見ます。 記憶力も成績もよく、友人や仲間を得る能力を持ち、よき協力者、仕事仲間であり、おそらく他の人よりも知力も優れています。なぜなら、共同体感覚によって他の人の目で正しく見て、他の人の耳で聞き、 他の人の心で感じることができるからです。ー「教育困難な子どもたち」 P118
フロイトとアドラーの理論の相違
- フロイト理論:性欲論を中心とする
- アドラーの理論:劣等コンプレックスを重視
子どもがエディプス・コンプレックスを経て自分の心を鍛えるとしたフロイトに対して、アドラーは自分の劣等性を克服して、他人と対等以上の人間になるために自分を鍛えることで、健康な心が育つと考えていた。
性格類型論(性格タイプ論)
アドラーは本質的に性格類型(性格タイプ)を信じておらず、いわゆる性格類型(性格タイプ)の体系を開発したものの、それは常に暫定的または発見的なものと考えていた。アドラーは、類型化(タイプ化)は、個人の独自性を見失い、還元的(この場合、人間を分割して見るという意味)に見つめることであり危険であると考え、これに反対していたのである。とはいうものの、暫定的なものとしてではあるが、彼は人生の全体的なライフスタイルの下で特徴を示すパターンを示そうとしていた。そのため、ハロルド・モザックのようなアドラー信奉者達はアドラーの類型論を利用している。
- 「欲張り型(依存者、ゲッターとも)」・・・ 繊細な人で、自分を守るため周りに殻を築いているが、エネルギーレベルが低いため人生の困難を乗り越えるために他人に依存する。自分は他者に与えず、あらゆるものを他者から得ようとする。ストレス下では個々のライフスタイルに応じ恐怖症、強迫観念、一般的な不安、ヒステリー、健忘症など、一般的に神経症と考えられている症状を発症する。
- 「回避型」・・・負けず嫌いなタイプである。社会に依存したいものの、社会から満足な待遇を得られないので人生の諸問題から目を背ける。彼らは成功に至るまでに当然存在するリスクを冒さない。拒絶や敗北を恐れ、課題を回避し安心感や納得感を得ようとするため、社会的な接触が少ない傾向にある。引きこもりも回避型の一種であると考えられる。
- 「支配型」・・・権力を求め、状況や人を操ることを厭わず、自分の思い通りにするためには何でもする。他者を攻撃することが得意で、権力を得て人を支配したいという欲望もあるが、敵対者を打倒したいという目標をもつこともある。相手との関係は常に支配的または優越な立場を取りたがり、このタイプの人は、反社会的な行動をとる傾向がある。
- 「社会有益型」・・・非常に社交的・活動的で、多くの社会的接触を持ち、自分と他者にとって有益なことを望み、社会や共同体への貢献度が高い。物事を良い方向へと変化させようと努力する。
これらの「類型(タイプ)」は通常、幼少期に形成され「ライフスタイル*」を表現するものである。「欲張り型(依存者、ゲッターとも)」、「回避型」、「支配型」のいずれのタイプも私的論理に従って生きており、コモンセンスに従って生きておらず、共同体感覚が低いことが特徴である。
*ライフスタイル:
アドラー心理学で『ライフスタイル』と呼ぶものは”人間のタイプ”や”性格に当たるもの”を指す。『ライフスタイル』には「支配型」「欲張り型」「回避型」「社会有益型」の4つのタイプ(類型)がある。この『ライフスタイル』を知ることは、クライアントにとって大きな気づきとなり、個人が持つ目標へのルートをさぐり人生を進めるためのガイドとして活用することができる。
アドラーの性格に対する考え方
アドラーの著書『Über den nervösen Charakter(神経症的性格、神経症的な性格について)』には、彼の初期の重要な考えを定義したものが記されている。アドラーは、人間の性格は目的論的*に説明できると主張した。個人の無意識的な自己の一部は、劣等感を優越感(というより完全性)に転換するために理想的に働くというものである。自己理想の欲求は社会的、倫理的要求によって打ち消された。もし矯正要因が無視され、個人が過剰に補償したならば、劣等コンプレックス(劣等感が異常に高められた状態、度を過ぎた劣等感)が生じ、個人が自己中心的、権力欲的、攻撃的など、より悪くなる危険性を助長することになる。
一般的な治療手段としては、ユーモア、歴史的事例、逆説的な命令などを用いる。
劣等感(Inferiority feelings)と劣等コンプレックス(Inferiority complex)の違い
劣等感は、その人が主観的に「自分は劣っている」と感じることである。
劣等コンプレックスとは劣等感を用い、努力を放棄し、ライフタスク(課題)から逃れようとすること。例:「親もバカで遺伝のせいで勉強ができない」「貧乏な家庭に育ったので暗い性格になった」
出生順位
アドラーは、心理的発達の要因として出生順位が重要であることを最初に述べた人物である。彼は、家族が競争的で独裁的でなくなり、より協力的で民主的になれば、出生順の違いは消え始めると推測していた。以下、出生順の特徴を簡単にまとめる。
一人っ子は、親が子の面倒を特別よく見るので、甘やかされる可能性が高い。この子どもは、大人の注目の的になることが大好きで、仲間と分け合うことが難しいかもしれない。一方、親が虐待している場合、一人っ子はその虐待を自分だけで背負わなければならない。
最初の子は、すべての注目を浴びながら人生をスタートする。しかし、第二子が生まれると、第一子は失われた地位を求めて争うかもしれない。赤ん坊のように振る舞おうとしても、反発され、大人になれと言われるかもしれない。反抗的になる子もいれば、不機嫌で引っ込み思案になってしまう子もいる。
第2子は、第1子をある種の「ペースメーカー」とし、上の子を追い越そうと競争心を燃やす傾向がある。他の「中間」の子どもたちは、第2子と同じような傾向にあるが、それぞれ別の「競争相手」に注目することがある。
末っ子は、最も甘やかされている可能性が高い。末っ子は、みんなが年上で何でも上手にできることに、劣等感を抱くかもしれないが、(その劣等感を解消するため)兄弟の誰よりも優れた存在になろうとする意欲を持つこともある。
アドラーは、出生順位がライフスタイルや心理的な長所・短所に影響を及ぼすとしばしば強調した。
アドラー(1908)は、3人家族の場合、年長児(長男、長女)が最も神経症や薬物依存症に陥る可能性が高いと考えていた。アドラー(1908)は、家族に3人の子がいる場合、長男が神経症や物質依存症になる可能性が最も高いと考えた。これは、「世界の重荷を背負っている」という過度の責任感(例えば、下の子の世話をしなければならない)と、かつて完全に甘やかされていた立場を失うことへのメランコリック(憂鬱)な補償であると彼は推論している。その帰結として、その子は刑務所や精神病院に収容される可能性が最も高いと予測していた。逆に、末っ子は、甘やかされがちで、社会的な共感性が乏しくなる傾向があるとアドラーは考えていた。したがって、真ん中の子(最年長でも末っ子でもない子)は、成功者に成長する可能性が最も高いが、反抗的にもなりえ、締め出されたように感じる可能性も最も高いというのである。アドラー自身は、6人家族の3番目(2番目とする資料もある)であった。
アドラーは、兄弟関係がライフスタイルを形成する時に子どもに大きな影響を与えると考え、子どもをひいきしないことが大事であると考えていた。特定の子が親から偏愛された場合、他の子が自分に注目を向けさせるため問題行動を始めることがあるからである。
「もしも家族の中に傑出した能力のある子どもがいれば、その次の子どもには、しばしば、問題行動がある。第二子が、より友好的で魅力的であるということもよくある。そこで、兄は愛情を奪われたと感じる。このような子どもたちが、思い違いをして、自分は無視されているという感じにとらわれるのはたやすい。
彼は自分が正しいことを証明する証拠を探す。行動はいっそう悪くなる。そこで、いっそう厳しく扱われる。このようにして、彼は自分が妨害され脇へと押しやられたという思いの確証を見出す。権利を奪われたと感じるので、盗みを始める。見つかり罰せられると、いよいよ誰も自分を愛さず、すべての人が自分に敵対しているということの証拠を手にすることになるのである」(『人生の意味の心理学』)
アドラーは、出生順位の役割に関する自分の解釈について、科学的な裏付けを出すこともなければ、その必要性も感じていなかった。この仮説の価値は、母親と父親だけを重用視していたフロイトの言説を越え、個人の心理を特徴づける兄弟の重要性を示したことにある。それゆえ、アドラーは、兄弟姉妹(がいない場合を含む)がクライアントの心理に及ぼした影響を治療的にマッピングすることに時間を費やしていた。アドラー学派のセラピストや人格理論家にとっては、兄弟における位置関係や相互関係の主観的な経験が心理療法的に重要だったのである。
イディオグラフィックなアプローチ(1.イディオグラフィックアプローチには個人はユニークで再現不可能な存在であるという基本的な仮定がある。その目的は、人間を個別に理解することであり、それを(個別に)集中的に研究することに基づいている。イディオグラフィックアプローチを使用する方法論は、少数の被験者の選択的検査で構成されており臨床的な方法である。
2.ノモセティックアプローチの特徴は個人は互いに類似しているという基本的な仮定に基づいていることである。その目的は、人に適用される一般的な法則を探ることである。方法論としては、被験者の大規模なサンプル調査に基づいており、相関的および実験的な方法を使用している。)では、対象者のライフスタイルに影響を与える可能性を探るため、自分の出生順位を掘り起こす。
アドラーにとって出生順位は、”同じ家族の中で育った子供たちが、なぜ全く異なる性格に育つのか?”という疑問に答えるものだった。厳格な遺伝学者であれば、兄弟は共通の環境で育つが、個人間の遺伝の微妙な違いにより性格の違いが生じると主張するかもしれない。 しかし、アドラーは出生順位理論を通じ、子どもたちはそもそも同じ共有環境で育つのではないと論じた。一番上の子は下の兄弟と、真ん中の子は上の兄弟と下の兄弟と、一番下の子は上の兄弟がいつ過程で一緒に育つのだと主張したのである。アドラーは、このような性格の違いは、遺伝ではなく、家族構成における位置が原因であるということも指摘している。この指摘は、後にエリック・バーンによって取り上げられた。
依存症
アドラーは、出生順位、補償、個人のコミュニティへの認識に関する問題を洞察した結果、当時すでに深刻な社会問題となっていた薬物乱用障害、特にアルコール依存症とモルヒネ中毒の原因や治療法を研究するようになった。
他の著名な精神分析の提唱者のほとんどは、近代およびポストモダン時代に蔓延したこの病気の解決に力を入れなかったので、アドラーの中毒者に対する研究は重要なものであった。
一例として、アドラーは、依存的行動の発症や原因について、例えば「器官劣等性」という個人心理学のアプローチを応用するほか、薬物欲求と性的満足やその代替物との明確な関係を見出そうとした。禁断症状が利尿剤の使用を必要とする「水中毒」の一種として説明されたことから、ノイフィリンなどの非中毒性物質による薬物療法的介入が行われた。アドラー夫妻の実用的なアプローチや一見高い成功率に見える治療法は、彼らの社会的機能と幸福に対する考えに基づくものであった。例えば、リラクゼーションの必要性や幼少期の葛藤の悪影響など、他の権威主義的、宗教的な治療法と比較すると、明らかにライフスタイルの選択や状況が強調されており、現代的なアプローチであった。確かに、彼の観察の中には、現在の薬物乱用治療の方法論や理論とは相容れないものがあり、例えばサイコパスは薬物中毒者になりやすいというものがあるが、病的な依存症患者が持つ自己中心的な特性や社会的責任からの逃避は、現代においてもアドラーの治療法の裏付けとなる部分でもある。
社会的文脈
アドラーの著書『人間の本質を理解する(Understanding Human Nature)』の中で彼はこう書いている。
社会的感情という概念を基準にしなければ、人間を判断することはできない。人間社会という組織の中にいる一人ひとりが、その社会の一体性を認めなければならない。私たちは仲間に対する自分の義務を自覚しなければならない。社会的感情がどの程度まで発達しているかということが、人間の価値観の唯一の普遍的な基準である。
アドラーは、幼児期の分析も行っていたが、治療の一環として、積極的な社会的相互作用を重視していた。彼は、人間には社会的一体感という無意識の感覚があり、それを生きていくために育まれなければならないと考えていた。彼は価値観を重視する心理学であり、心の健康の指標や目標として、「つながり」という社会的感情(元々は共同体感覚と呼ばれていた)を精神衛生(メンタルヘルス)上の指標・目標とした。反対に、社会的関心の欠如を、アドラーは精神疾患(心の病)の定義としたのである。彼は、共感の質を高めるには、親や文化全体がサポートする必要があると説いた。その意味で、アドラーは、家庭、学校、地域社会における人格形成と教育による予防の分野の先駆者であったといえる。
同性愛
アドラーは、売春や犯罪と並んで、「同性愛者」を「人生の失敗者」に該当するものとして分類していた。1917年、彼は52ページの雑誌で同性愛に関する著作を始め、その後も、時々考えを発表し続けた。
オランダの心理学者Gerard J. M. van den Aardwegは、1917年、アドラーが、同性愛と自分自身の性に対する劣等感との間に関連性を見出したと考え、彼がその結論に至った経緯について述べている。
この視点は、同性愛が自己愛(ナルシシズム)に根ざしているとするフロイトの理論や、アニマとアニムスの原型に対する逆性愛(対立性)の表現とするユングの考えとは異なっていた。
しかし、アドラーがこの仮説を放棄する方向に向かった可能性を示す証拠がある。アドラーの晩年、1930年代半ばになると、同性愛に対する彼の意見は変化し始めた。
ニューヨーク州の家庭福祉員(ソーシャルワーカー)であるエリザベス・H・マクダウェルは、ニューヨークで年配の男性と「罪を犯して生きている」若者の監督をアドラーと共に引き受けたことを回想している。
アドラーは「彼は幸せですか?」と尋ねた。「ああ、そうだ 」とマクダウェルは答えた。そしてアドラーは「それなら、彼を放っておいてあげたらどうだろう」と述べたのである。
アドラーが伝記を書かせたフィリス・ボトムによればアドラーは以下のように発言したという。「彼はいつも同性愛を勇気の欠如として扱っていた。これらは、より大きな義務を回避しながら、肉体的な欲求をわずかに解放するための方法にすぎない。同性の一時的なパートナーは、「未知」の性との永続的な接触ほど勇気を必要としない、よく知られた道である。(中略)」アドラーは、人間は、神経、腺、トラウマ、衝動などを見ても体の内部から判断することはできないと教えた。なぜなら、裁判官も囚人も、目に見えないもの、計り知れないものを誤解する傾向があるからと彼は述べた。しかし、生まれてから死ぬまで、すべての人間の前に定められた共通の人生の課題3つにどう取り組むかで判断できるのだと彼は述べている。その3つとは、仕事、愛(恋愛・結婚・性)、共同体生活(対人関係・社会的接触)である。
親の教育
アドラーは治療と予防の双方を重視した。アドラー学派は力動的精神療法(英語:Psychodynamic psychotherapy)に関し、人格や様々な精神病理への傾向を形成する上で、幼少期が基本的に重要であることを強調している。今では、「人格障害」と呼ばれているもの(アドラーは「神経症的性格」と呼んでいた)や、さまざまな神経症的状態(うつ病、不安症など)への傾向を予防する最善の方法は、子供が家族の一員として対等に感じられるよう訓練することである。子どもの最適な発達の責任は、母親や父親に限らず、教師や社会全般にまで及ぶ。そこでアドラーは、教師、看護師、ソーシャルワーカーなどが、民主的人格を育む家庭の仕事を補完するために、親の教育の訓練も必要とすると主張した。子どもが平等であると感じられず、甘やかしや放置によって虐待された場合、その子どもは劣等感や優越感を抱くようになり、それに付随しさまざまな補償戦略を身につける可能性がある。これらの戦略は、離婚率の上昇、家族の崩壊、犯罪傾向、精神病理という主観的な苦しみを様々に生み、社会的な犠牲を強い、損害をもたらしている。アドラーの信奉者達は、特に有名なオーストリア・アメリカのアドラー派、ルドルフ・ドライカーズ(Dreikurs & Soltz, 1964)の影響を受けた親の教育グループを長年に渡り推進してきた。
*力動的精神療法(英語:Psychodynamic psychotherapy)とは、力動的心理療法や力動的アプローチ(精神分析的心理療法)とも呼ばれ、フロイトが創始した精神分析の理論に基づき発展してきた心理療法です。
■力動(りきどう)/精神力動
力動(りきどう)とは、精神力動とも呼ばれ、誰もが持っている形を変えることができる心のエネルギー(熱量)のことです。例えばフラストレーションが溜まって時間が経っても無くならなかったが、直接本人にその想いを伝えるとスッキリしてその熱量が消えた、といったようにエネルギーは形を変えることができると考えます。
深層心理学への影響
アドラーは、ウィーン精神分析協会の中心メンバーであり、ジークムント・フロイトと彼の同僚のグループと協力して行っていた精神分析運動の共同創始者でもあった。実際のところ、フロイトにとってアドラーは唯一無二の人であった。彼は精神分析から離れ、独立した心理療法学派(精神分析学派)と人格理論学派をつくった最初の主要人物であり、人間を不可分の全体(人間をパーツに分割できず全体として一つである、individualuum)であると信じており、彼はそれを個人心理学と呼んだ。彼はまた、人間は周囲の世界とつながっていると考えていた。(人は環境から独立して存在しているのではないという意味である。逆に、どんな人間も環境の影響を受けて存在しているとも表現しうる)
アドラーの独立は、フロイトが彼自身の思想とアドラーの思想があまりにも相容れないと宣言した後のことである。フロイトは(フロイトの主宰する)協会の全会員に対し、アドラーを落とさなければ除名すると最後通告し、反対する権利すらも否定した。それにもかかわらず、フロイトはアドラーの考えを常に真摯に受け止めていた。フロイト曰く「名誉ある誤りであり、アドラーの見解の内容は受け入れられないが、その一貫性と重要性は認めることができる」。 この分裂騒動の後、アドラーは、20世紀を通じて発展してきたカウンセリングや心理療法の分野に、独立した形で多大な影響を与えるようになった(Ellenberger, 1970)。彼は、ロロ・メイ、ヴィクトール・フランクル、アブラハム・マズロー、アルバート・エリスなど、その後の心理療法の学派の著名人に影響を与えた。 彼の著作は、オットー・ランク、カレン・ホーニー、ハリー・スタック・サリバン、エーリッヒ・フロムの著作に見られるような、後の新フロイト派の洞察に先行し、時には驚くほど一致していた。中には、フロイト学派の心理学(自我心理学、英ego psychology)がアドラーの画期的アプローチに追いつくには数十年かかると考える者もいる。
アドラーは、様々な精神病理の予防における平等の重要性を強調し、子供を育てるための社会的関心と民主的な家族構造の発展を主張した。 彼の最も有名な概念は劣等コンプレックスであり、自尊心の問題と、それが人間の健康に及ぼす悪影響(例えば、時に逆説的な優越感への追及を生み出す)について語っている。アドラーがパワーダイナミクス(力の力学)を強調したのは、アドラーより数十年前に発表されたニーチェの哲学に根ざしている。具体的には、アドラーの 「力への意志」 の概念化は、個人がより良い方向へ変化するための創造的な力に焦点を当てている。
力への意志(ちからへのいし、英:Will to Power、独:Wille zur Macht)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの後期著作に登場する、突出した哲学的概念のひとつである。 力への意志は権力への意志と訳されることもあるが、力への意志の「力」は、人間が他者を支配するためのいわゆる権力のみを指すのではない。また「意志」は、個人の中に主体的に起きる感情のみを指すのではない。
力への意志は、ニーチェの考えによれば人間を動かす根源的な動機である: 達成、野心、「生きている間に、できるかぎり最も良い所へ昇りつめよう」とする努力、これらはすべて力への意志の表れである。力への意志は自然現象を含めたあらゆる物事のなかでせめぎあっている。力への意志の拮抗が、あらゆる物事の形、配置、運動を決めている。生命の持つ意志は、たえずより強くなろうとして力をめざす。あらゆる抵抗を克服して破壊と創造を繰り返し、たえず自己を強化して向上させようとする生の積極的肯定こそが、生命の意志の本質である。ニーチェは、力への意志を世界や歴史の根源的な原理とし、これによってニヒリズムを克服しようとした。
アドラーは、個人を見るときに、要素還元主義的(人間を分割するという意味)に見るのではなく全体的に見るというホリズム(全体論)を主張した。アドラーはまた、心理学会で初めてフェミニズムに賛成する議論を展開し、女性分析家でもあり、男女間のパワーダイナミクス(および男らしさと女らしさの関連性)が人間の心理を理解する上で重要であると主張した(Connell, 1995)。現在、アドラーは、フロイト、ユングとともに、無意識と精神力動(英psychodynamics)を重視する深層心理学の三大創始者の一人とされ(Ellenberger, 1970; Ehrenwald, 1991)、20世紀の三大心理学者・哲学者の一人とされている。
私生活
大学時代、アドラーは社会主義学生のグループになつくようになった。その中に後の妻となるライッサ・ティモフェイエウナ・エプスタインがいた。彼女はロシアからウィーンへ留学していた知的な社会活動家であった。二人は1897年に結婚し、四人の子供をもうけ、二人は精神科医になった。彼らの子供は作家、精神科医、社会主義活動家のアレクサンドラ・アドラー、精神科医のカート・アドラー、作家で活動家のバレンタイン・アドラーとコーネリア「ネリー・アドラーであった。作家でジャーナリストのマーゴット・アドラー (1946-2014) はアドラーの孫娘にあたる。
貢献
アドラーは、1921年にウィーンで最初の児童相談所を開設するなど、児童指導の分野で先駆的な役割を果たした。
アドラーの活動は介入にとどまらず、その後の人生における精神的な問題を予防するための子育てツールや教育プログラムを考案した。現在、アドラーの研究に基づき成功している育児教育プログラムは以下である。
- アクティブ・ペアレント化
- アリソン・シェイファーの子育ての原則、ルール、ツール
- 「できる子を育てるシリーズ」を出版している米コネクションズ・プレス社
- 協調的規律
- ステップ
アドラーの影響は、アドラーの弟子であるルドルフ・ドレイカーズがシカゴのアルフレッド・アドラー研究所として設立したアドラー専門心理学校や、アドラー独自の教えと心理療法に特化したサンフランシスコとワシントン北西部のアルフレッド・アドラー研究所など、彼の仕事を継承する学校に受け継がれています。
急速に成長しているライフコーチングの分野では、主にアドラーの研究からそのテクニックやツールを取り入れています。そのテクニックとは具体的に以下のものが上げられる。
「ソクラテス式」と呼ばれる手法を用い洞察を得ること、共感と関係性を通してサポートすること、新しい方向への動きを促す励まし、クライアントに変えるべきものへの洞察を促すこと、得られた洞察を新しい態度や行動に転換し変化を支援すること、社会的関心・他者との協力・他人への共感力を高めること、クライアントが新しい価値観やライフスタイルに挑戦することの支援、つながりの感覚を強めること、自己と他者の継続的な成長の促し。
また、アドラーの精神的・社会的ウェルビーイングへの志向を推進する組織も数多く存在している。国際アドラーサマースクール協会(ICASSI)や北米アドラー心理学会(NASAP)などである。
名言
振り返る限り、私はいつも友人や仲間に囲まれていて、ほとんどの場合、私は……愛されていた。… この発展は早くから始まっており、一度も途絶えたことがない。
いつの日か、真の人類の教会が、我々の思考では理解できないほど誇り高く、大胆に立ち上がるだろう。
心理学者としてのドストエフスキーの功績はまだ尽きていない。彼は今日でも我々の教師として賞賛されなければらない … 彼の創作物、倫理、芸術は、人間の協力関係を理解するために、私たちを非常に遠くまで連れて行ってくれる。
もし生まれ変わったら、バラになって帰ってきたい。 なぜなら、バラを見るのは美しいし、他の多くのバラと一緒に茂みに育つからだ。
【フロイトの心理学は】甘やかされた子供の心理学である。… しかし、「なぜ隣人を愛さなければならないのか」と問わねばならない人間に、何が期待できるだろうか。
我々の子供たちは… 我々が切望するものを享受することができる。空気、光、栄養、これらは今日でもまだ人々から遠ざけられている。私たちは、衛生的な住宅、適切な賃金、労働の尊厳、確かな知識のために戦っている。我々の汗は彼らの平和であり、彼らの健康は我々の闘いなのだ。
意義の追求、この憧れの感覚は、すべての心理現象が劣等感から出発し、上向きに達する動きを含んでいることを常に我々に指摘するものである。個人心理学の心理的補償の理論では、劣等感が強ければ強いほど、個人の力を求める目標が高くなるとしている。
(引用:AAISF/ATPアーカイブス所蔵のアルフレッド・アドラーの雑誌論文「個人心理学の進歩」(”Fortschritte der Individualpsychologie”, 1923年)の新訳)人間であるということは、劣等感を持つということである。
(引用:ベンジャミン・B・ウォルマン著『心理学における現代理論とシステム』(1960年)288頁)意味は状況によって決まるのではなく、自分が状況に与える意味により自分自身が決まるのである。
(引用:『あなたにとって人生の意味するところ』(1937年)14頁)自分の原則のために戦うことは、その原則に従って生きることよりも常に簡単である。
(引用: フィリス・ボトム、アルフレッド・アドラー。自由の使徒』(1939年)5章)人間は自分が理解していることよりも、はるかに多くのことを知っている。
(引用:『アドラー心理学入門』)
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