アドラー心理学とは、アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)が創始し、後継者たちが発展させてきた心理学の体系である。個人心理学(英: individual psychology)が正式な呼び方であるが、日本ではあまり使われていない。
日本アドラー心理学会認定カウンセラーである岸見一郎がアドラー心理学を解説した『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』が流行し、日本においてもアドラー心理学が一般市民にも浸透した。
アドラーはもともとはジークムント・フロイトとともに研究していたが、その学説はフロイトの理論とは大きく異なり、「神経症の原因をトラウマに求めない」「意識と無意識の葛藤は存在しない」などと考えていた。
アドラー自身は自分の心理学について、個人心理学(ドイツ語: Individualpsychologie)と呼んでおり、これは人は分割できない存在と捉えてたことによる。
「百人いれば百とおりのアドラー心理学がある」(『性格は変えられる アドラー心理学を語る』p75 )と述べられているように、現代ではさまざまな流派のアドラー心理学が広まっている。さもアドラーが述べているように記述する著書・解説サイトが見られるが、実際にはアドラー本人が言及していないものもあり、注意が必要である。
アドラー心理学の思想
劣等感・劣等性
人は一人一人が異なるので、自分自身と他者を比較したとき、誰にでも劣っている能力や性質が存在する。これをアドラーはその人の「劣等性」と名付けた。アドラーは、自分の持つ劣等性に対して生じる、負い目や恥などのネガティブな感情を「劣等感」と呼んだ。
劣等感は一般に負のイメージを持つが、アドラー心理学(個人心理学)において、劣等感は必ずしも悪いものとは見なされていない。劣等感を持つ人が、その劣等感の原因となる劣等性を補償*しようとすると、その人が前向きな目標を持つための大きな原動力となり、人間を成長させる材料となりうるとアドラーは考えたのである。このため、劣等感は人間にとって有用な目標を持たせ、有用なものを作り出す力を秘めているものとアドラーは捉えており、また、実際に、その目標を達成することで劣等感を克服(補償)できると考えたのである。
*補償:
一般に「克服する」と表現するものを心理学では「補償する」と表現する
人間を他の動物と比較すると、人は馬のように早く走れなかったり、魚のように水中を泳ぐことができないなど、肉体的劣等性という身体的に劣ったところがある。その劣等感を補償(克服)するため、人間は徒党を組み集団を形成し生活するようになったとアドラーは考えた。また、アドラーは、人間が共同生活を行うためのコミュニケーションの道具として言葉を生み出したと考えた。
アドラーはその考えを拡張し、人は動物より早く走れないという劣等感を補償するため鉄道や自動車を発明し、魚のように泳げない劣等感を克服するために船を開発したと考えた。さらに、不完全な人間に対する劣等感を補償(克服)しようと音楽や芸術を生み出し、いつか死ぬという劣等感を補償しようと宗教や哲学を生み出したと考えた。アドラーはこのように、人間が劣等感を補償するため、社会をも含む、様々なものを生み出したと考えており、「人間の文化のすべては劣等感に基づいていると思える」とすら述べている。
劣等感への向き合い方
アドラーは、劣等感を生み出す劣等性を補償(克服)するための目的や目標がどのようなものであるかが大事だと考えており、その劣等感を持つ個人の生来の素質を重視してはいなかった。
劣等性から生じる劣等感を補償(克服)しようとするとき、ポジティブ又はネガティブなアプローチをとることができ、それぞれ目標を持つことができる。
<劣等感についてアドラーの名言>
すべての人は劣等感を持っている。しかし、劣等感は病気ではない。むしろ、健康で正常な努力と成長への刺激である。 ー 個人心理学講義P45 ー
以下は例えば、身長が低いことを劣等性と感じ、劣等感を生じた男性のポジティブ、ネガティブなアプローチの例である。
ポジティブな目標の例)
その身軽さを活かし、また努力して、フィギュアスケートや乗馬の騎手になって活躍する
→私的論理ではなく有用である;スポーツで多くの人(コモンセンス)に感動を与えている
ネガティブな目標の例)
高いシークレット・シューズを履いてごまかしたり写真撮影のときにつま先立ちする。
→私的論理であり有用ではない;安易な方法で優越感や満足感を得たが、共同体(周囲)には何ももたらしていない
太っているという劣等性から来る劣等感にポジティブなアプローチをとる女性の例は以下である。
ポジティブな目標の例)
勇気を出して芸能事務所へ行き、太っている人向けの雑誌のファッションモデルとなって活躍する
→私的論理ではなく有用である;モデルとして世の中(コモンセンス)に新たなファッションスタイルを提示している
ネガティブな目標の例)
締め付けの強い服を着て体形を隠す
→私的論理であり有用ではない;安易な方法で優越感や満足感を得たが、共同体(周囲)には何ももたらしていない
劣等コンプレックス・優越コンプレックス
アドラーは、劣等感をポジティブに捉え補償(克服)することが望ましいと考えていた。しかし、ケースにより、ネガティブな感情に圧倒されてしまい、劣等性を補償(克服)することが不可能だという無能感に圧倒され、個人の劣等感が病的といえる水準の状態になってしまうこともある。この過度の劣等感ををアドラーは「劣等コンプレックス」と呼んだが、この状態に陥ると、劣等感を(行動で)解消することを諦めてしまう。
劣等コンプレックスを持った個人は、安易な補償や見せかけだけの満足を追求してしまい、劣等感から生じた問題を解決する方向へ心が向かわず、人生の有用でない方面へ努力を向けてしまう。例:劣等感を隠すため部屋に引きこもる。
アドラーは、そのような状態の個人が安易な方法で優越感を得ようとしている状態を「優越コンプレックス」と呼んだ。以下はその例である。
- 例1:自分の弱さを隠すため、威張り散らして人を支配する
- 例2:さも重要な人物のようにSNSに高級なものと自分が写っているものをあげる
この優越コンプレックスは、劣等感が病的な状態に高まった状態である劣等コンプレックスを補償しようとして表出するものである。
劣等コンプレックスと優越コンプレックスのいずれも、目標を持ったとき、それが自己利益の追求に過ぎず、共同体(社会)にとって有用ではない場合がある。そのような場合、アドラー心理学では、その目標自体が間違っているとされる。
さらに、それらは「1自己利益の追求だけでなく共同体にも利益をもたらす有用なもの」と「2(優越感に浸ることだけが目的の)自己利益のみの追及であり共同体には利益をもたらさず有用でないもの」のいずれかに分類できる。アドラー心理学では、2を「有用でない優越性の目標」と呼ぶ。また、アドラーは、単に、1を「有用である」、2を「有用でない」と表現することも多かった。
また、1の、他者や共同体、社会、そして人類が価値があると考える対象を「コモンセンス」と呼び、2の価値基準を「私的論理」と呼んだ。
アドラーの劣等感・劣等コンプレックス・優勢コンプレックスに関する名言
優越コンプレックスは、劣等コンプレックスを持った人が、困難から逃れる方法として使う方法 の一つである。そのような人は、自分が実際には優れていないのに、優れているふりをする。 そして、この偽りの成功が、耐えることのできない劣等である状態を補償する。ー『個人心理学講義』 P45
劣等コンプレックスを見出すケースにおいて、優越コンプレックスが、多かれ少なかれ、隠されているのを見出したとしても驚くにはあたらない。他方、優越コンプレックスを調べその連続性 を探求すれば、いつも多かれ少なかれ、劣等コンプレックスが隠されているのを見出すことができる。ー『個人心理学講義』 P40
過度な劣等感を持った状態である劣等コンプレックスについて
・すべての人は劣等感を持っている。 しかし、劣等感は病気ではない。むしろ、健康で正常な努力と成長への刺激である。 無能感が個人を圧倒し、有益な活動へ刺激するどころか、人を落ち込ませ、 成長できないようにするときに初めて、劣等感は病的な状態となるのである。ー『個人心理学講義』 P45劣等器官を持った子ども
視力が劣っているということが職業選択の際に影響を与えることになった画家や詩人も多くいる。 ミルトンやホメロスは、この後者の補償の典型的な例である。ベートーヴェンが難であったこと、 また、デモステネースが吃音であったことも、優越性の追求*がこれらの点に集中していることがわかる。ー「人はなぜ神経症になるのか」 P42
*アドラーは、劣等感に対して反発し前進しようとすることを「優越性の追及」と呼んだ。
共同体感覚
共同体
アドラーは晩年の著作『共同体感覚:人類への挑戦 (Social Interest:A Challenge to Mankind) 』 (1938年) では、アドラーは形而上学の話題に触れ、ヤン・スマッツの進化論的全体論(進化的ホリズム)と目的論や共同体の概念を統合している。そこで臆することなく、彼自身の社会に対するビジョンを次のように論じている。「社会的感情とは何よりも、人類が完成という目標を達成したときに…永遠に通用すると考えなければならない共同体の形態を求める闘争を意味する…それが達成されたとき人類全体の理想的な社会、進化の究極の達成となる。」。アドラーは、この宣言に続いて、形而上学の擁護を述べている。
形而上学は人間の生活と発展に大きな影響を及ぼしてきたのだから、恐れる必要はない。私たちは絶対的真理の所有に恵まれていない。そのため、私たちは自分の将来や行動の結果など、自分自身のための理論を形成せざるを得ない。人間の最終形態としての社会的感情、すなわち、人生におけるすべての問題が解決され、外界とのすべての関係が正しく調整されている状態を想像するという考えは、調整的理想であり、私たちの方向性を示す目標である。この完璧さという目標には、理想的な共同体という目標が含まれていなければならない。なぜなら、私たちが人生で価値をおくもの、持ちこたえ続けているものすべてが、永遠にこの社会的感情の産物であるからだ。
アドラーにとってのこの社会的感覚はドイツ語のGemeinschaftsgefühl(共同体感覚、英Social interest)という、自分が他者と一緒に属していると感じる共同体感覚であり、自然(植物、動物、この地球の地殻)や宇宙全体との生態的つながりも発達させた共同体の感情である。アドラー自身、自分の理論を裏付けるために形而上学的、霊的な視点を取り入れることに問題を感じていなかったのは明らかである。しかし(たとえアドラーの信奉者たちが、形而上学、モダニズム、ポストモダニズムの三つの糸がどれほど深く分裂し、矛盾しているかを十分に考慮していなかったとしても)、アドラーの全体的な理論的成果は、弁証法的ヒューマニスト(近代主義者)とポストモダニスト(ポスト近代主義者)とが、異なるレンズを通してコミュニティ(共同体)とエコロジーの意義を説明する十分な余地を与えている。
アドラー心理学の理論
アドラー心理学の基本的な考え方として、目的論、仮想論(Fictionalism、
認知論)、全体論、主体論(自己決定性)、人間関係論が挙げられる。
また、アドラーに基づく学術的、臨床的、社会的実践は、以下のテーマに焦点を当てている。
- 社会的関心と共同体感覚
- ホリズム(全体論)と創造的自己
- 仮想的最終論、目的論、目標構成論
- 心理的・社会的な励まし
- 劣等感、優越感、補償
- ライフスタイル(生活様式)
- 初期回想法(投影法の一つ)
- 家族構成(家族の星座)と出生順位
- ライフタスク(人生の課題)と社会への組み込み
- 意識と無意識の領域
- 私的論理と常識(カントの「共同体感覚、sensus communis」に一部基づいている)
- 症状と神経症
- 自己防衛行動
- 罪悪感・罪の意識
- ソクラテス式問診
- 夢診断(夢の解釈)
- 児童・思春期の心理学
- 子育てと家族(親)に対する民主的アプローチ
- アドラー式学級運営
- リーダーシップと組織心理学
目的論(Teleology)
アドラー心理学では、「人間は、未来の自分のために生きている」と捉える目的論を特徴の一つとしており、人間の行動には、必ず何らかの目的があると考える。これは、人は何らかの目的や目標を持って行動を選択するという態度を表し、個人の悩みは、過去の出来事に起因するのではなく、未来をどうしたいという目的に起因して現在の行動を選択している、と捉えるものである。よって、目的論は、いわゆる過去のトラウマを否定し、ある目的のために、自分自身が現在の状況を作っているとするのである。
アドラーが唱えた目的論は、「人は何かの目的があって今の状況を作り出している」、とする立場である。これは、原因があって結果が作り出されるのではなく、何か目的があってその結果を作り出しているとするものである。例えば、引きこもっている人に対し、「不安だから外出できない」とは考えず、「外出したくないから、不安を作り出している」と捉え、「外出しない」という目的が先にあると考えるのである。
この目的論と反対の立場をとるのが原因論(決定論、あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している、とする哲学的な立場)であり、過去の特定の出来事が原因となり現在の結果が導かれる、とするものである。 つまり、過去の出来事が、現在の状況を作っているとするのである。
- 目的論・・・人は何かの目的があって今の状況を作り出している、考え方:今の結果に繋がる(過去の)自分以外の外部の原因を探っていく、採るアプローチ:原因を探り解決する、未来志向、アドラー心理学
- 原因論・・・過去の出来事が原因となり今の結果が導かれる、考え方:個人の持つ考え方や価値観が(今の)結果に繋がっている、採るアプローチ:考え方や価値観の修正、過去志向、フロイトの心理学
原因論と目的論の考え方の違いの例を以下に列挙する。
・離婚に関して
原因論:(過去の)親の離婚がトラウマになって恋愛ができない
目的論:(失敗を恐れるなどして)恋愛をしたくないという目的のために、自らその感情を作り出している
フロイトの心理学(精神分析学)は原因論に、アドラー心理学(個人心理学)は目的論に基づくものである。
・パブロフの犬
決定論では、(過去の)刺激が一方的に反応を引き起こすと考える。その中でも有名なものとして「パブロフの犬」があげられる。
犬に餌をやるとき同時にベルを鳴らす。 これを繰り返すと、犬は餌を見なくてもベルの音を聞くだけでよだれを垂らすようになるのである。
・刺激(ベルの音のみ)→無条件で反応する (よだれを垂らす)
・適切な目的、目標を持つことの重要性に関するアドラーの名言
人間の精神生活は、目標によって規定される。 考えることも、感じることも、欲することも、そればかりか夢を見ることも、これらすべては規定され、条件づけられ、制限され、方向づけられ るのでなければできないのである。(中略) 個人心理学は、人間の精神のすべての現象を、一つの目標に向けられているかのように見なすのである。-「人間知の心理学」 P250
私たちは目標を置かずには、考えることも、感じることも、行為することもできません。この目標設定は、どんな運動においても避けることのできないものです。本の線を引く時、目標を目にしていなければ、最後まで線を引くことはできません。欲求があるだけでは、どんな線も引くことができません。即ち、目標を設定する前は何をすることもできないのであり、先をあらかじめ見通して初めて、道を進んで行くことができるのです。 ー教育困難な子どもたち P28
われわれが改善できるのは、具体的な目標である。目標を変えることで、神経症者の習慣と態度も変わるだろう。 もはや古い習慣と態度を必要としない。そして、彼(女)の新しい目標に適し た新しい習慣と態度がすぐに取って代わるだろう。ー『人生の意味の心理学(上)』 P82
もし、この世で何かを作るときに必要な、建材、権限、設備、そして人手があったとしても、目的、すなわち心に目標がないならば、それらに価値はないと思っています。 実際に目標があるとしましょう。 水道やあらゆる近代的利便性の備わった100部屋の家屋を建てると想像してみてください。 そうしたら、その目標に最もふさわしいように、建材や設備や作業員をまとめて、うまく働かせ ることができるでしょう。仕事をうまく監督することができるでしょう。なぜなら、あなたは自分がどうしたいかを知っているのですから。
目標は全能である。それは人のライフスタイルを決定し、行動のあらゆる点に反映される。もしも目標が仲間であること、人生の有用な面に向けられたものであれば、あらゆる課題の解決にこの目標の刻印を見出すことになるであろう。 あらゆる解決が建設的な有用性を反映し、幸福感と 建設的で有用な活動に伴う価値と力を与えるだろう。しかし、目標が違う方向に向けられたら、 即ち、人生の私的で有用でない面に向けられるのであれば、根本的な諸課題を解決できず、また 課題を適切に解決することから帰結する喜びを持つことはないであろう。 ー「子どもの教育』 P20
私たちは自分で人生を作っていかなければならない。それは、私たち自身の課題であり、それを行うことができる。私たちは自分自身の行動の主人である。何か新しいことがなされなければならない、あるいは、何か古いことの代わりを見つけなければならないのであれば、私たち自身にしかできない。ー人生の意味の心理学(上) P30~33
精神力動と目的論
アドラーは、人間の心理は精神力動的なものであると主張した。本能的な要求を強調するフロイトのメタ心理学*と異なり、人間の心理は目標によって導かれ、まだ知られていない創造的な力によって燃料を供給されるというものである。フロイトの本能の概念と同じく、アドラーの架空の目標は、大部分が無意識的なものである。これらの目標は「目的論」的な機能を持っている。新カント派やニーチェ派の思想の影響を受けた構成主義のアドラーは、これらの「目的論」的目標を、ハンス・ヴァイヒンガーが語った意味での「虚構」(fictio)とみなしている。通常、無数のサブゴールに並んで解読可能なフィクションの最終目標が存在する。劣等感と優越感のダイナミズムは、様々な形の補償と過補償を通して常に働いている。例えば、神経性食欲不振症では、「完璧に痩せること」が架空の最終目標である(劣等感に基づく過補償)。したがって、虚構の最終目標は、主観の中に常に存在する迫害的な機能を果たすことができる(ただし、その痕跡の湧出は通常、無意識的である)。しかし、「やせる」という最終目標は、主観的には決して達成できず、虚構のものなのである。
*メタ心理学:
心理学の通常の厳密に科学的な限界を超えた心の研究であり、現代心理学の父と考えられているジークムント・フロイトは、最初にこの言葉を用い、心理学に関する投機的または哲学的な調査に言及した。彼はメタ心理学を心の研究の最も抽象的な要素と定義しました。 エス(イド)、自我(エゴ)、超自我(超エゴ、スーパーエゴ)、またはアイデンティティを支配する3つの「自己」に関する彼の有名な理論は、実証的な科学的研究では証明できないため、メタ心理学の一部を形成している。)
目的論は、アドラー派にとってもう一つの重要な機能である。チロンの「hora telos」(「終わりを見て、結果を考える」)は、健全及び不健全な精神力学を示すものである。ここには、精神的に健全な主体が自分自身と社会の利益を求める際の個人的責任を強調するアドラーの姿勢も見られる。
【精神力動論】Psychodynamic theory
精神力動論とは、19世紀末に創始された心理療法の元祖であるS.フロイトの精神分析から始まる臨床心理学の第1勢力と呼ばれる学派を指す。
意識と無意識の相互作用を主とする精神世界のダイナミズムのゆがみやアンバランスな状態が、精神疾患や心理的不適応の原因であると仮定する。そして、精神疾患や不適応の原因である精神世界のダイナミズムは、患者自身の力だけでは意識化して対処することが困難であると考える。
よって、この立場の治療方法は、無意識にある葛藤や欲求不満あるいは人生にとって必要なメッセージを、患者が意識化・洞察できるよう治療者が解釈を与えたり、意識と無意識の相補性を確立するための方向付けを与えたりすることが必要と考える。
精神力動論に分類される主な理論としては、S.フロイトの古典的精神分析、A.フロイトやM.マーラーに代表される自我心理学、M.クラインやウィニコットに代表される対象関係論がある。
全体論(ホリズム)
形而上学的なアドラー派は、思想家ヤン・スマッツのホリズム(全体論、Holism)に強い影響を受けている(スムッツは「ホリズム」という造語を作った)。ホリズムの基本テーゼは「全体は部分の総和以上である」というものだ。つまり、ホリズムが通常意味する精神的な一体感である(ホリズムの語源:ὅλος holos、ギリシャ語ですべて、全体、総体の意)。スマッツは、進化には、より小さな全体がより大きな全体へと統合される一連の漸進的な過程が含まれると考えていた。スマッツの著書『ホリズムと進化』は科学書と思われているが、実は進化を高度な形而上学的原理(ホリズム)に統合しようとするものである。様々な宗教的伝統(バハイ、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教など)で尊ばれる「連帯感(つながり)」と「一体感(ひとつ)」の感覚は、アドラーの思想を強く補完している。
共同体の構成員、共同体の構築、共同体を形成する社会・歴史・政治的な力を理解するための実用的・物質的な側面は、個人の心理的構成や機能を理解する上で非常に重要である。このようなアドラー心理学の側面は、アドラーが「共同生活の絶対的な真理と論理」と呼んだものに関心を寄せていたことからも、コミュニティ心理学の分野と高い相乗効果を発揮している。しかし、アドラー心理学はコミュニティ心理学とは異なり、予防と事後的な臨床治療の両方に総合的に関わるものである。それゆえ、アドラーは「最初のコミュニティ心理学者」と考えることができ、その言説はアドラーの死後数十年で正式なものとなった(King & Shelley, 2008)。
アドラー心理学、カール・ユングの分析心理学、ゲシュタルト療法、カレン・ホーニーの精神力動的アプローチなどは全体論的(ホリスティック)な心理学派である。これらの言説は、人間の心理や精神病理学を理解するための要素還元主義的アプローチを避けている。
*要素還元主義(ようそかんげんしゅぎ、英: Reductionism、独: Reduktionismus)は、複雑で抽象的な事象や概念を、単一のレベルのより基本的な要素から説明しようとする立場。
日本で比較的定着している定義では、
- 考察、研究している対象の中に階層構造を見つけ出し、上位階層において成立する基本法則や基本概念が、「いつでも必ずそれより一つ下位の法則と概念で書き換えが可能」としてしまう考え方のこと。
- 複雑な物事でも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方である。
仮想論(Fictionalism)
仮想論は認知論とも呼ばれる。アドラー心理学では、全体としての個人は、相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動する、と考える。しかしながら、それは、あたかも相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動しているかのようである、ということであって、実際に、相対的にマイナスの状態が存在するとか、相対的にプラスの状態が存在するとかいうことを言っているのではない。人間は、自分があたかも相対的マイナスの状態にあるように感じているので、それを補償するために、あたかも相対的プラスの状態を目指しているかのように行動するのである。
ライフスタイル
ライフスタイルとは、個人が採用した、 自分や世界の現状と理想についての信念体系であり、人生に対する根本的な態度でもある。人生における根本的な目標や、目標にアプローチする態度まで含めた考え方を指す。 その人が、自分自身をどのような相対的マイナスの状態にあると考えていて、それを補償(克服)するために、どのようなプラスの状態を目指していて、それを達成するためにどのような手段を用いているか、というその人の人生の運動全体のことであり、アドラー心理学(個人心理学)の重要な鍵概念の一つである。 アドラーによると、ライフスタイルは、幼児期の4、5歳までに形成され、その人の生き方に多大な影響を及ぼすとされるが、彼はまた、それは虚構であり、それゆえに変更可能なものであるとも述べている 。
近年のアドラー心理学では、10歳頃までにライフスタイルが形成されると考えられるようになっており、現代のアドラー心理学では、一般的に、ライフスタイルを構成する信念体系は1自己概念、 2 世界像、3自己理想という三つに分類される。
- 自己概念・・・自分という人間がどんなふうであるかについての主観的な認識(意味づけ)。実際には痩せているが「太っていると思う信念」を持つなど、 自分に対する理解は自分の持つ劣等感が影響する。
- 世界像・・・自分自身の周囲の環境についての主観的な認識(意味づけ)。大きく2つにわけると、他者を自分の仲間と見なすか(冷たい社会で片身狭く生きているのか)、自分の敵とみるか(人とのふれあいが豊かな温かい社会で生きているのか)であるが、とらえ方は人によって千差万別である。
- 自己理想・・・自分自身のあるべき姿への主観的な認識(理想像、イメージ)。自分が優秀であるべき、人から好かれるべきなどの理想像である。理想とする自分を目指すことであり、これそのものが目標であり、幸福を達成するための手段でもある。
*ライフスタイル分析は、来談者のライフスタイルを分析するアドラー心理学独自の技法であり、人間理解の根本を探るものである。ライフスタイル分析は、治療、または、カウンセリングの必要に応じて行われる。
1〜3のライフスタイルを構成する信念体系は主観的なものであるため、明らかな間違いや不自然なものも多くある。不適切なライフスタイルを持つと社会と良好な関係を持つことが困難になる。以下はその例である。
- 客観的に痩せているのに、自分自身を太っていて醜いと認識する自己概念
- 自分の周囲には敵しかいないと理解する世界像
- 親しい友人がおらず、間違った孤高の道を目指すという不適切な自己理想(から導かれた目標)
アドラーは、これらから共同体(コモンセンス)にとって有用でない(優越感に浸り満足することだけが目的である)私的論理に基づいた目標を目指してしまうと、神経症を発症する可能性があると考えていた。 神経症者は、多かれ少なかれ、行動の領域を制限し、世界との接触を制限し、三つの現実的で、差し迫った人生の課題から距離を取り、支配できると感じられる状況に自分を制限するとされる。
アドラーは、この世界はシンプルなものであり、複雑に見える場合、その人は神経症的な意味づけをしているとし、そのように見える人は神経症的ライフスタイルを持っていると主張した。
神経症的ライフスタイルを2つに大別したもの
- 自分には能力がない、と認識する。ここでいう能力とは、人生の課題を解決し、他者に貢献する能力のことを指す。
- 周囲の人々は自分の敵である、と思う
神経症ライフスタイルの詳細
- 人生の課題を解決しようとしない
- 他者に依存する
- 他者を支配する(特に、誤った方向での優越性の追求をしてしまっているケースである)
- 自分には解決する能力がないと思う
- 他者は敵と思う
神経症ライフスタイルの人は自分が取り組むべき課題を何らかの口実を持ち出して回避しようとする。神経症は心の中ではなく対人関係の中で起こり、症状が向けられる「相手役」が存在する。それを改善するには症状よりも「相手役」との関係に焦点を当てなければならない。患者はいつも誰かに責任を被せ責めたいと考える。
アドラーは社会や共同体から離れて生きる個人はありえないとし、ライフスタイルが不適切なときや、これらの神経症ライフスタイルを持ってしまったときには、コモンセンス(他者への関心と貢献、協力)に基づく新たなライフスタイルを結びなおすことが不可欠であるとアドラーは考えていた。彼によると、そのライフスタイルとは、他者を仲間だと信頼し、共同体感覚を持ち、他者に貢献する健康なライフスタイルである。
健康なライフスタイル
- 私には能力がある、と思う
- 人々は私の仲間である、と思う
アドラーのライフスタイルに関する名言
「私は○○である」
「世の中の人々は○○である」
「私は○○であらねばならない」
性格の根っこには、この3つの価値観がある。人生の最初の四年か五年に、子どもは、生まれつきの能力を最初の印象に適応させることで、自 分自身のライフスタイルの原型を築きあげる。(中略)これが後になってより定式化されたライフスタイルへと発達し、人生の三つの課題に対する答えを条件づけることになる。ー「人はなぜ神経症になるのか」 P38~40
私たちは、(ライフスタイルの)誤りについて子どもに完全な理解を得させ、誤りを排除するのです。 子どもがこれらの連関を理解すれば、人生において決心をするようになり、もはや以前と同じ子どもではなくなります。自らをコントロールし誤りを一歩一歩ゆっくり解体し始めます。これが「汝自身を知れ」の成果です。 ー「教育困難な子どもたち』 P116
すべて人は意味を追求する。しかし、もしも自分自身の意味が他者の人生への貢献にあるということを意識しない時にはいつも誤るのである。ー「人生の意味の心理学(上)」 P14
人間は、生物学的に見ても、明らかに社会的な存在であり、成熟に達する前に他の人に依存しな ければならない時期は、どんな動物よりもずっと長い。人間がまさに生存するために必要とする 高度な協力と社会文化は、自発的な社会的努力を要求し、教育の主たる目的は、それを喚起することにある。 ー「人はなぜ神経症になるのか」 P39
共同体感覚は、人間の発達と密接に結びついています。 共同体感覚を持っている子どもは、よく 聞き、よく見ます。 記憶力も成績もよく、友人や仲間を得る能力を持ち、よき協力者、仕事仲間 であり、おそらく他の人よりも知力も優れています。なぜなら、共同体感覚によって他の人の目 で正しく見て、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じることができるからです。ー「教育困難な子どもたち」 P118
アドラー心理学の技法
勇気づけ、課題の分離、目標の一致、目標設定、宿題、早期回想分析、ライフスタイル診断、解釈投与、逆説的指示、ロー ルプレイ、認知修正、そしてリラクセーション
ライフタスク
執筆者募集中
勇気づけ
執筆者募集中
課題の分離
執筆者募集中
三つの課題(問題)
アドラーは、私たちの人生の課題は、仕事(職業)、共同体生活(社会・友情)、愛(恋愛・性愛)という三つの課題(問題)に分類できるとし、それらの課題は全て対人関係(人間関係)のものであると主張した。(アドラー心理学では、人間の問題は、すべて対人関係上の問題であると考える)
アドラーによると、人はこの三つの課題を、その人なりのライフスタイルで取り組み解決することで*人生の意味を明らかにする、とされ、アドラー心理学独自のものである。アドラーは、誰にでもあてはまるような人生の意味などなく、人生の意味は、自分が自分の人生に与えるものだと述べている。
私たちは自分で人生を作っていかなければならない。それは、私たち自身の課題であり、それを行うことができる。私たちは自分自身の行動の主人である。何か新しいことがなされなければならない、あるいは、何か古いことの代わりを見つけなければならないのであれば、私たち自身にしかできない。ー人生の意味の心理学(上) P30~33
- 仕事;共同体を円滑に運営していくため、共同体におけるそれぞれの役割を参加者が果たすこと。お金を稼ぐいわゆるビジネスだけではなく、家事、育児、学業なども含む。永続しない人間関係である。
- 共同体生活;(人間が持つ劣等感は共同体を生み出したが、)共同体といかに良い関係を結ぶか。友人や仲間を見つけ良好な関係を維持することである。永続するが、運命をともにしない人間関係である。
- 愛; この愛や性、パートナーの問題は、子孫を残すことで共同体を維持する。カップルをはじめ、親子を含めた良好な家族関係を指す。もともとアドラーが述べていたのは、人類の存続に関する課題でもあり、男女の愛情関係が中心であったが、その後の進展で家族の問題も含まれるようになっている。永続し、運命をともにする人間関係である。
後の方になるほど、人間関係の深みが増し、解決が難しいとされる。
・アドラーの三つの課題に関する名言
私は前々から、すべての人生の問いは、三つの大きな課題、即ち、共同体生活、仕事、愛の問題 に分けられるということを確信してきた。ー「生きる意味を求めて」 P356
個人心理学は、人間のすべての問題は、この三つの問題、即ち、仕事、対人関係、性に分けられ るということを見てきた。各人がこの三つの問題にどう反応するかによって、各人はまぎれもなく、 人生の意味についての自分自身の個人的な解釈を明らかにする。ー『人生の意味の心理学(上)」 P12~13
自分の課題に直面するとは、人生の三つの課題を協力的な仕方で解決するという責任を持つことを意味する。われわれが人間に要求するすべてのこと、われわれが人間に与えることができる最高の賞賛は、人間が優れた仕事仲間、優れた仲間、愛と結婚における真のパートナーであるべきであるということである。 要するに、人は自分が仲間であることを証明するべきである、といえる。ー「人生の意味の心理学 (下)」 P139
(人生の三つの課題という)この問いを解決できるのは、共同体感覚を十分持っている人だけであるということは明らかである。 ー「生きる意味を求めて」 P337
*共同体感覚とは、「人が全体の一部であること、全体とともに生きていることを実感すること」である。人生は仲間に関心を持ち、全体の一部であり、人類の幸福に貢献することである。ー「人生の意味の心理学(上)」 P13
人の価値は、共同体の分業において人に割り当てられている役割をどのように果たすかということによって決められる。人は、共同体の生を受け入れることによって、他者にとって意味のあるものになり、社会を結びつける無数の鎖の一環になる。この多くを無視すれば、社会生活は崩壊 することになる。ー「人間知の心理学』P130
今日われわれのまわりにわれわれが祖先から受け取った遺産を見れば、われわれは何を見るだろうか。それらの中で残っているものはすべて、人間の生活に貢献したものだけである。耕された大地、道、建物をわれわれは見る。祖先の人生経験の果実は、伝統、哲学、科学、芸術、そして、 われわれ人間の状況に取り組むための技術の中に、われわれに伝えられている。これらのものはすべて人間の幸福に貢献した人からわれわれに受け継がれたものである。ー『人生の意味の心理学(上)』 P17
言葉を例に取ろう。たった一人で生きている人であれば言葉の知識はいらない。人間が言葉を発 達させたということは、共同生活が必要であるということの明白な証拠である。 言葉は人間同士 のはっきりとした結びつきを確立し、同時に共同生活が作り出したものである。言葉の心理は、 共同体の理念を出発点として用いて初めて理解できる。ー「子どもの教育』 P95
他方、いつも他人と交わっており、言葉と論理とコモンセンスを使って他の人と交わらなければならない人は、共同体感覚を獲得し、発達させなければならない。これがすべての論理的思考の 究極の目標である。ー「子どもの教育」 P97
*共同体感覚とは、「人が全体の一部であること、全体とともに生きていることを実感すること」である。
私のノイローゼ患者たちに、バスだとか劇場だとかで、まったくただ会話をやりだすという目的で身近にいる人と話をしてみるといい、とすすめてみた。(中略) 駅や船の桟橋や、劇場で行列をつくって待っている群衆のなかにいる人々の多くは、諸君とまったくおなじように一人ぼっちだったり、おなじように人に接するのが怖い人たちなのだ。ーウルフ「どうしたら幸福になれるか(下)」 P202~203
二人の課題は固有の構造を持っており、一人の課題を解決する方法では正しく解決することはで きない。この問題を十分に解決するためには、二人はどちらも自分のことをすっかり忘れ、もう 一人に献身しなければならない。ー「生きる意味を求めて』 P50
パートナーのいずれかが、支配するために自分より弱いパートナーを探しているならば、必ず失望する。これは待ち受ける態度だからである。そして、態度が「与える」というものである時だけ成功するというのが、愛と結婚の不変の法則に見える。 ー「人はなぜ神経症になるのか」 P58
アドラー心理学は、その創設当初から、専門家と一般人の両方が信奉している。アドラーは、心理学によって得られた科学的洞察をすべての人が活用できると考えており、アドラー心理学の原則を広めるためへの参加を、高名な学者から正式な教育を受けていない人まで、すべての人を歓迎していた。
コメント